川越八幡宮 岸野さんのお写真です。

【七五三ガイド】第1話:七五三について知ろう!起源や由来


子供の健やかな成長を願って行われる神事のひとつ、七五三。現在では子供に晴れ着を着せて写真を撮るイベントのように考えられがちですが、なぜ七五三が行われるようになったか、皆さんはご存知ですか?ファミリーフォトではそんな素朴な疑問にお答えすべく、地元の川越八幡宮・権禰宜(ごんねぎ)の岸野様に詳しくお話を伺ってきました!

子供が成長してきたことに感謝し、健やかな未来を願う七五三のタイトル画像

 icon-instagram 子供が成長してきたことに感謝し、健やかな未来を願う七五三

地元川越では古い歴史をもち由緒ある神社として知られる川越八幡宮で神職である権禰宜として奉職されている岸野さま。年間を通してさまざまな神事を執り行っていらっしゃると思いますが、そもそも七五三にはどんな起源が由来があるのでしょうか?

岸野さま:「七五三が始まったのは室町時代から江戸時代にかけてと考えられています。当時は数え年であったため、現代でいう二歳程度の赤ちゃんが祝う行事だったようですね。いま、皆さんがご存知の七五三のような形が最初からあったわけではなく、だんだんと固まってきたのだと思います。

その頃は赤ちゃんが生まれてもすぐに亡くなってしまうことも多く、三歳まで成長できるということは今とは比べ物にならないほど大変だったんです。病気にかかってしまえば、なかなか治らないし、赤ちゃんの頃に亡くなる方が本当に多かった。ですから、生まれて間もない赤ちゃんは神様に守られている状態で、三歳を迎えて初めて『子供』になる、そんな通過儀礼のような考え方もあったようですよ」

現代で生活する私たちにとっては当たり前のように思える七五三。当時の親たちにとって七五三を無事、迎えられる喜びは、今の私たちには想像できないような大きなものだったのかもしれませんね。

 七五三は子供にとっての厄年でもあった?のタイトル画像

  七五三は子供にとっての厄年でもあった?

 

現在では女の子の三歳、七歳、男の子の五歳で祝う七五三ですが、当初は男女同じように行われていたのだそう。三歳の髪置き(かみおき)、五歳の袴着(はかまぎ)、そして七歳の帯解き(おびとき)という儀式をしていたそうですが、それぞれどんな儀式だったのでしょうか。

岸野さま:「昔は子供の髪は短く刈っておくのが習わしだったんですが、三歳になると女の子は尼削ぎ(あまそぎ)と呼ばれるおかっぱ頭にするようになったんです。これが髪置きですね。肩のあたりで切りそろえた、いわゆる童子の髪型です」

というと、三歳の女の子場合、何か特別な決まった髪型にしなければならないという決まりがあるということですか?

岸野さま:「特にこれという風にしなければいけないというのはないと思います。今は、いろいろな髪型をしている方がいらっしゃいますが、お母さんの腕の見せ所というか、それもいいんじゃないでしょうか。」

そして男の子の場合、五歳くらいから武家に生まれた自覚を持つという意味で、正装としての袴を身に着けるようになります。ですから、もともと武家の間で行われた行事だったんです。それが江戸時代の頃。七五三を祝うのが11月15日になったのも、その頃の武家の子息が袴着を行ったのがその頃だったからだと思います。

七歳では帯解きといって、女の子がそれまで紐で結んでいた着物をきちんとした帯を締めるようになる。これもやはり正装になるという考え方ですね。それまで抱っこされていた赤ちゃんが、子供として自分の着物を身に着けるようになる、ということでしょう」

男の子は袴着で男性としての自覚を、女の子は帯解きで女性としての自覚を促しながら、育ってこられたことに

感謝して、未来の健康を祈る…七五三というのはそういった行事だったんでしょうか。

 岸野さま:「そうですね。もうひとつは七五三は子供にとっての厄除けにあたるんだと思います。大人でもありますよね。男性の44、女性の33になりますが…。子供の場合、七五三を無事過ごすことによってひとつの厄落としになるという考え方もあったんでしょう」

お祝いごと、めでたいことは真似をするべき!のタイトル画像

  お祝いごと、めでたいことは真似をするべき!

 

七五三は江戸時代になると庶民の間にも広まっていきます。当時の錦絵の中には七五三の様子を描いたものもあるのだとか。そこには興味深いことが描かれていたようです。

岸野さま:「幕末ごろの錦絵として当時の七五三の風俗が描かれたものがあるんです。犬配分(いぬはいぶん)といって、犬の形をしたおもちゃなんですが、これを親戚中に配るんです。無事に何歳になりましたという意味でね。お参りするときにこのおもちゃをたくさん持って行って、お参りした後にそれを配ってお祝いする…そんなお祝いのしかたが描かれています。そこにはお母さんとおばあちゃん、女の子が描かれていて、お父さんはいないんです。当時は女の子の行事だったんですね」

武家が起源であることを考えると、男の子の行事だったと思っていました。意外ですね。

江戸時代の七五三は女の子のための行事だった?のタイトル画像

  七五三が現在のかたちになったのは戦後?

 

やがて明治時代になると七五三を祝うことが全国的に浸透していきます。現在のように家族全員で神社にお参りするという華やかな行事に発展したのはいつ頃のことなのでしょうか。

 岸野さま:「おそらくはじめは節目をお祝いするという意味で家族の中でお祝いすることが多かったんだと思います。あまり統一された形ではなかったんでしょう。それこそ晴れ着を着るというのはごくごく最近のことだと思います。皆さんが考えていらっしゃるような、ご家族で来られてお子さんが晴れ着を着て、みんな一緒にお参りするというのは、もう戦後の風習だと思います」

 というと、明治以降ということでしょうか?

岸野さま:「もっと、それこそ大戦後くらいですね。晴れ着をみんなが着られるくらいお金持ちになって…。一般の方がそれだけ財力を持つというのは戦後の特徴ではないでしょうか」

 

生まれた子供が三歳を迎えることも難しい時代もあった、かつての日本。また七五三が恵方巻のように、真似することで一般的に広まってきた風習というのは意外ですよね。七五三が今の形になったのも比較的最近ということにも驚きました。

現在では子供が健康に育つことが当たり前のように考えがちですが、なにごともなく七五三を祝うことができるということに私たちももっと感謝しなければならないのかもしれませんね。